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2015年07月21日

藤田和之

“野獣”“猪木イズム最後の後継者”藤田和之ですexclamation×2

プロレスと総合格闘技の両軸で活躍したプロレスラーです。
総合格闘技がプロスポーツの一大ブームとなり、プロレスというジャンルが衰退していく中でプロレスラーから格闘家へと転進して一時代を築きましたね!

元々はアマチュア・レスリングで全日本学生選手権4連覇、全日本選手権を2度制覇するという輝かしい実績を誇ります。

私、高校時代はレスリング部に所属していたのですが、レスリング部の部室には定期購読されていた『月刊レスリング』が置いてあり、藤田の活躍はよく紙面で掲載されていました。
ちなみに、当時は女子レスリングの山本美優選手(山本KID徳郁のお姉さん)の全盛期で、彼女の写真がよく表紙を飾っていました!

日本大学を卒業後は闘魂クラブ(新日本プロレスのアマチュア・レスリング機関)に所属し、オリンピック日本代表を目指しています。

どうでもいい話ですが、当時の月刊レスリングのプロフィールでは藤田の身長が175cmと記載されていました。
プロ入り後では182cmとなっていますが、実際の身長はどれくらいなんでしょうね?

闘魂クラブ所属時代、すでにプロデビューしていたケンドー・カシン(石沢常光)がアマチュアの大会に出場した際、予選で藤田がカシンを破ったりもしていますね。

アトランタ・オリンピックの日本代表選考会の予選で敗退したため、アマチュア引退とプロ転向を発表。
1996年に正式に新日本プロレス所属となり、同年の11月にデビューを果たします。

イジメやかわいがりなどで新弟子への厳しさには定評のある新日本プロレスですが、さすがにレスリングの猛者であった藤田がイジメられることはなかったようですね。

その分、先輩からのかわいがりは同期である真壁刀義に向かったようです。

『これが新日道場だ!!』というDVDの中で真壁が当時を振り返ってます。
「僕ら新弟子は先輩方のちゃんこを作らないといけないんですが、彼(藤田)はポンっとハムだけ置いて“今日はハムステーキです”って言うんですよ。要するに“自分たちで焼け”って(笑)」
これが新日道場だ!! [DVD] -
これが新日道場だ!! [DVD] -

まぁ、そんなことをしても先輩から潰されないだけの強さを藤田が持っていたんでしょうね。
同じことを真壁がやったら酷い目に遭わされていたでしょうけど。

デビュー後、4年間は新日本プロレスの若手前座レスラーとして試合に出場。
その後、猪木による小川直也のプロレス合宿に呼ばれて小川のパートナーを務めています。
コーチであった佐山聡は藤田の身体能力と実戦能力の高さに驚いた、と後に語っていますね。

また、UFC世界王者であったドン・フライとの異種格闘技戦がマッチメイクされるなど抜擢を受けています。
デビューしてすぐであることを考えれば異例の待遇です。

しかし、すでに年齢が30に近かった藤田は焦っていたのかも知れないですね。
プロレスは実力だけがものをいう世界ではないですから。
“いつまでこんなところ(前座〜中堅)にいなけりゃいけないんだ?!”

GK金沢の著書『子殺し』の中で、藤田の新日プロ在籍時代のエピソードが書かれていますが、道場での実力では自分より勝る人間はいないのに、リング上での序列に一切反映されないジレンマがあったようです。

サラリーマンの世界でも肩書きだけの上司っていますもんね。
そりゃ不満も溜まるでしょう。

藤田が運がよかったのは、デビューした90年代後半からUFCやPRIDEといった総合格闘技が一気にメジャー化したことでしょうね。

“ガチンコの世界だったら俺は上にいける!!”


新日プロのレスラーも猪木の指令で度々PRIDEに出場させられてましたが、藤田の場合は新日プロを退団してまで総合の世界に飛び込んでいます。

当時の現場監督であった長州は、猪木がPRIDEに加担して新日プロ所属のレスラーを総合の場に狩り出すのを極端に嫌がっていたそうです。
長州はガチンコが嫌いというか、「あんなの金を取って見せるもんじゃない。」という思いが強かったんでしょうね。

私的に面白かったのは、『子殺し』に載っていたこの当時の長州と藤田のやりとりです。
「オマエは利用されるだけだぞ!」という長州に対して、
「それは新日本も同じでしょ?」と返す藤田のくだりです。
子殺し~猪木と新日本プロレスの10年戦争 (宝島SUGOI文庫) -
子殺し~猪木と新日本プロレスの10年戦争 (宝島SUGOI文庫) -

あの長州に平然とそう答える藤田が凄いですよね!
自分の上司に面と向かって意見も言えない私には、到底できないことです…。

総合転向後の藤田は破竹の快進撃を見せ、“日本人ヘビー級最強の男”として大活躍します。
レスリングの技術に加え、頑丈な肉体は無類の打たれ強さを発揮していました。

“霊長類ヒト化最強の男”と謳われたマーク・ケアー(判定)やケン・シャムロック(判定)を破るなど実績を残しています。パンチ

あのエメリヤーエンコ・ヒョードルにもあと一歩のところまで追い込んだりもしています。
当時世界最強と謳われたヒョードルをグラつかせた右パンチ(やみくも振り回したら偶然当たったような感じでしたが)は強烈でしたね!
Fedor_Emelianenko_2009.jpg

総合転向後、再び新日マットに参戦。
総合での実績でポジションを急激に上げた藤田は、スコット・ノートンを破って新日マットの頂点であるIWGP王者になります。
総合に転向しなかったら藤田のIWGP戴冠はずっと遅れていたでしょうね。

うるさい先輩レスラーを実績と実力で黙らせてのトップ獲り、最高にカッコイイですよね!

反面、トップレスラーとしてプロレス的な名勝負をつくることは結局ありませんでした。
元々はプロレス頭というかセンスが欠けてますし。

その後はプロレスと総合を掛け持ちしながら、という感じでキャリアを重ねていきます。

IWGP王者にもなったし、総合でもそこそこの実績を残しますが、私的にはなんとなく中途半端なまま全盛期を過ごしたなぁという印象があります。
総合にしろ、プロレスにしろ、怪我や大人の事情などで試合に出場する機会が少なかったせいでしょうか?

ただ相当稼いではいたようです。
ネット上では“藤田の家は1000坪の豪邸!”なんて噂されてますね。

現在は猪木が主宰するIGFの大会に限定出場していますが、40台半ばを迎えた藤田の試合はどれも消化不良のものばかりになっています。

ピークはとうに過ぎ、悲しいかなだいぶ体も萎んで持ち前の身体能力も著しく落ちていますもうやだ〜(悲しい顔)

そろそろ現役の幕引きも近いでしょう。
それでも全盛期に幾多の格闘家たちを相手に無類の打たれ強さとプロレスラーの底力を見せてくれた藤田は、プロレス界で歴史に残る偉大なレスラーの一人ですので、最後まで強い“野獣”藤田和之として頑張ってほしいものですexclamation




タグ:IGF
posted by ひろきち at 10:23 | 大阪 ☔ | Comment(0) | プロレスラー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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